第23回 東京ソープ2025年の年末年始営業
早いもので2024年も残りあと僅か。皆様の今年のソープ遊びはいかがでしたでしょうか。今年も例年と同じくソープランド店リストに扇子マークで年末年始(大晦日と元旦)の営業状況をまとめてみましたので、ぜひご参考にしてください。
【年末年始営業の見方】
…31、1日ともに営業
…31日営業、1日休み(もしくは1日不明)
…31日休み(もしくは31日不明)、1日営業 [無印]…31、1日ともに休み、もしくは不明(未定)
年末年始は営業時間が普段と異なり、受付開始時間が遅くなったり、受付終了時間が早まったりするケースがございます。元日に関しましては女の子の出勤状況によって、営業になったりお休みになったりするケースもございます。お店によってはまれに2日(もしくは3日)までお休みのところもありますが、ほとんどのお店は2日から通常営業となります。詳しくは、お店のホームページやお電話でご確認ください。
年末年始の営業状況と併せて今年も全国のソープランドの軒数をざっくり調べてみました。新規オープンや休業、閉店、価格改定などの情報が後から分かる場合も多々ありますので、数字に若干ずれがあるかと思われますが、2024/12/28時点で全国でおよそ907軒(超高級6、高級86、中級14、大衆135、格安649、激安17)のソープランドが営業中でした。
ちなみに、HPを公開していないお店は、問合せ先の電話番号が使われなくなったり、つながらない状態が一定期間続いた時点で閉店扱いにしています。また、メインの店舗以外に別館など複数店舗で営業されているお店については、各店舗ごとにHPや問合せ先を設けている場合に限り、それぞれを1店舗としてカウントしています。
ソープランドの総軒数の昨年比は-17、料金区分ごとの増減は、超高級店+1、高級店-1、中級店-3、大衆店-10、格安店-4、激安店±0。計算方法により前後すると思われますが、今年全国でオープンしたお店の総件数は65、休業・閉店件数は99、リニューアル・営業再開件数は47でした。
当サイトにつきましては、沼津・熱海・釧路エリアのマップ作成はとりあえず終わったものの、全エリアのソープランド以外の一般店舗については、閉店したり名前が変わったお店が散見されるため引き続き見直しを進めつつ、昨年から調べ始めた中洲の店名変遷を取り急ぎ終わらせたいところ。
あと風俗情報誌に関しては、店名変遷を調べる手掛かりになればと、最近は『ナンバーワンギャル情報』や『月刊ミューザー』の他に『シティヘブン』『MAN-ZOKU』『シティプレス』『ザ☆漫遊記』『Ping-ピン-』などもバックナンバーを収集しており、これらを参考に、過去から現在までのお店のオープンや閉店、休業、移転、リニューアル、店名変更、統合、価格改定、業態転換、経営交代などを分かる範囲で整理できればと考えております。
今年も沢山の皆様にソープ徹底攻略をご利用頂きまして有難うございました。2025年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今回は『豊原路子の体当たりマンハント旅行』豊原路子/著(第二書房 ナイト・ブックス)の紹介です。
今回も引き続きストリップ関連で『女は天使である-浅草フランス座の素敵な人たち』佐山淳/著(スパイク)の紹介です。
今回も前々回に引き続きストリップ関連の本『ストリップの帝王』八木澤高明/著(角川書店)の紹介です。
あけましておめでとうございます。新春第一回目となる今回は、首都圏一円にソープランドを展開する角海老グループ創業者・鈴木正雄の半生に迫ったソープファン必読の一冊『公衆トイレと人生は後ろを向いたらやり直し ソープの帝王 鈴木正雄伝』木谷恭介/著(光文社)の紹介です。
今回はソープ関連ではないですが、最近読んで良かった『伝説の女傑 浅草ロック座の母』齋藤智恵子/著(竹書房)の紹介です。
今回は『トルコロジー-トルコ風呂専門記者の報告-』広岡敬一/著(晩声社)の紹介です。
今回は『ソープランドでボーイをしていました』玉井次郎/著(彩図社)の紹介です。










4月上旬、ちょうど都内の桜が満開を迎えてから約1週間後の4/12、以前から行きたいと思っていた押上~吉原間の撮影小旅行に行ってきました(^o^)/











龍泉寺町(現・竜泉)の人々は一葉の文学業績を永く後世に遺すべく、有志により「一葉協賛会」を結成、1949年(昭和24年)には戦災で失った「一葉記念碑」を再建し、1951年(昭和26年)には一葉記念公園に「一葉女史たけくらべ記念碑」を建設、さらに1960年(昭和35年)には一葉の旧居跡に「樋口一葉旧居跡碑」を建立するなど地道な活動を続け、その熱意に応える形で、台東区は1961年(昭和36年)5月12日に女流作家の単独資料館としては日本初となる記念館を開館、その後40年余りを経て、館の老朽化が進んだことや樋口一葉が新5000円札の肖像に採用されたことを機に、2006年(平成18年)11月1日にリニューアルオープンして現在に至っています。
「たけくらべ」は一葉の代表作でもあり、現代語訳も出ていますので読まれたことのある方もたくさんいらっしゃることと思います。おおまかな小説の内容としては、前半部分は時代を問わず誰しもが思い当たる少年時代の原風景であり、何であの頃はあんなにつまらないことで意地を張っていたのだろう、どうしてあの時正直に気持ちを伝えられなかったのだろう、といった懐かしいけれどほろ苦い記憶が読み手の脳裏にも思い浮かび、胸がしめつけられるような切ない気持ちが込み上げてきます。
「たけくらべ」を読んで個人的に印象に残った点として、まず一つ目は、作中で描かれる少年少女たちの純粋さです。
その中でもとりわけ信如と美登利の関係は、見ているこちらもついついやきもきしてしまうほどぎこちなくて不器用で、逆にそれがたまらなく愛おしく感じられ読み手としては感情移入せずにはいられません。個人的に好きな文章を作中から引用すると、
「信さんかへ、と受けて、嫌やな坊主つたら無い、屹度筆か何か買ひに來たのだけれど、私たちが居るものだから立聞きをして歸つたのであらう、意地惡るの、根生(こんじやう)まがりの、ひねつこびれの、吃(どんもり)の、齒(は)ッかけの、嫌やな奴め、這入つて來たら散々と窘(いぢ)めてやる物を、歸つたは惜しい事をした、どれ下駄をお貸し、一寸見てやる、とて正太に代つて顏を出せば軒の雨だれ前髮に落ちて、おゝ氣味が惡るいと首を縮めながら、四五軒先の瓦斯燈の下を大黒傘肩にして少しうつむいて居るらしくとぼ/\と歩む信如の後かげ、何時までも、何時までも、何時までも見送るに、美登利さん何うしたの、と正太は怪しがりて背中をつゝきぬ。」という部分、そして
「それと見るより美登利の顏は赤う成りて、何のやうの大事にでも逢ひしやうに、胸の動悸の早くうつを、人の見るかと背後(うしろ)の見られて、恐る/\門の侍(そば)へ寄れば、信如もふつと振返りて、此れも無言に脇を流るゝ冷汗、跣足になりて逃げ出したき思ひなり。平常(つね)の美登利ならば信如が難義の體を指さして、あれ/\彼の意久地なしと笑ふて笑ふて笑ひ拔いて、言ひたいまゝの惡まれ口、よくもお祭りの夜は正太さんに仇をするとて私たちが遊びの邪魔をさせ、罪も無い三ちやんを擲(たゝ)かせて、お前は高見で采配(さいはい)を振つてお出なされたの、さあ謝罪(あやまり)なさんすか、何とで御座んす、私の事を女郎女郎と長吉づらに言はせるのもお前の指圖、女郎でも宜いでは無いか、塵一本お前さんが世話には成らぬ、私には父さんもあり母さんもあり、大黒屋の旦那も姉さんもある、お前のやうな腥(なまぐさ)のお世話には能うならぬほどに餘計な女郎呼はり置いて貰ひましよ、言ふ事があらば陰のくす/\ならで此處でお言ひなされ、お相手には何時でも成つて見せまする、さあ何とで御座んす、と袂を捉(とら)へて捲(まく)しかくる勢ひ、さこそは當り難うもあるべきを、物いはず格子のかげに小隱れて、さりとて立去るでも無しに唯うぢ/\と胸とゞろかすは平常の美登利のさまにては無かりき。」という部分、
「庭なる美登利はさしのぞいて、ゑゝ不器用な彼んな手つきして何うなる物ぞ、紙縷は婆々縷(ばゝより)、藁しべなんぞ前壺に抱かせたとて長もちのする事では無い、夫れ/\羽織の裾が地について泥に成るは御存じ無いか、あれ傘が轉がる、あれを疊んで立てかけて置けば好いにと一々鈍(もどか)しう齒がゆくは思へども、此處に裂れが御座んす、此裂(これ)でおすげなされと呼かくる事もせず、これも立盡して降雨袖に侘しきを、厭ひもあへず小隱れて覗ひしが、さりとも知らぬ母の親はるかに聲を懸けて、火のしの火が熾(おこ)りましたぞえ、此美登利さんは何を遊んで居る、雨の降るに表へ出ての惡戲は成りませぬ、又此間のやうに風引かうぞと呼立てられるに、はい今行ますと大きく言ひて、其聲信如に聞えしを恥かしく、胸はわくわくと上氣して、何うでも明けられぬ門の際(きは)にさりとも見過しがたき難義をさま/″\の思案盡して、格子の間より手に持つ裂れを物いはず投げ出せば、見ぬやうに見て知らず顏を信如のつくるに、ゑゝ例(いつも)の通りの心根と遣る瀬なき思ひを眼に集めて、少し涕の恨み顏、何を憎んで其やうに無情(つれなき)そぶりは見せらるゝ、言ひたい事は此方にあるを、餘りな人とこみ上るほど思ひに迫れど、母親の呼聲しば/\なるを侘しく、詮方なさに一ト足二タ足ゑゝ何ぞいの未練くさい、思はく恥かしと身をかへして、かた/\と飛石を傳ひゆくに、信如は今ぞ淋しう見かへれば紅入り友仙の雨にぬれて紅葉の形かたのうるはしきが我が足ちかく散ぼひたる、そゞろに床しき思ひは有れども、手に取あぐる事をもせず空しう眺めて憂き思ひあり。」という部分。
このあたりの心理描写は目の前に鮮明にその場の情景が浮かび上がってくるほどとても素晴らしく魅力的で、読み手の心を掴んで離しません。
また同時に、移ろいゆく季節の描写はやがて訪れる彼らの少年時代の終わりをも予感させているように感じるのですが、子どもたちはそんなことはお構いなしにただただ無邪気で明るく筆やのお店でおはじきをして遊んだりと、今というひと時を彼らなりに目いっぱい楽しもうとしています。

